LOGIN【3】
里一番の館の、大広間の台座の上。コハクは借りてきた猫のように縮こまっていた。
彼女の目の前では今、里をあげて盛大な『魔女復活祭』が繰り広げられている。宴の主役はコハク。彼女は深紅のドレスを身に纏い、玉座と言うべき豪奢な椅子に鎮座させられ、崇め奉られている。
「深焔の魔女さまの復活だぁ!」
「麗しき魔女、コハク・インフェルドさまの復活に祝福を!」
当のコハクは、ただ苦笑いを浮かべるだけで精一杯だった。そこへ、彼女に寄り添って立つ中年女性が様子をうかがってくる。
「コハクお嬢さま。ご気分が優れませんか?」
「あ、いえ、」コハクは慌てて恐縮する。「ボクは大丈夫です、領主様」
頭には三角帽子を被り、ローブのような暗色のドレスを身に纏った現領主は、魔女貴族という表現がピッタリの中年女性だ。まさしく魔女の里〔マギアヘルム〕の領主に相応しい。
「今は現実を受け止めきれずに大変でしょう」領主は言う。「〔魔女のほこら〕での三百年間の長き眠りからお目覚めになったばかりで、ましてや記憶を失ってしまったコハクお嬢さまに、いきなりこのような宴など酷なこと。察するに余りあることです」
「いえ、そんな......」
「御身体にも障りましょう。しかし、先ほどもご説明申し上げた通り、これは伝承通りの事象なのです。そして貴女の復活を、あの神々しき光景を、この地の誰もが目の当たりにしました。〔マギアヘルム〕としては何もしないわけにはいかないのです」
「で、ですよね〜」
コハクは力無く笑いながら、先ほど領主から小一時間ばかりかけて受けた説明を頭の中で反芻する。
ここは〔テルストリア〕という国の自治領で〔マギアヘルム〕という場所。マギアヘルムとは『魔女郷』のことで、どうやらこの世界には魔女がいるらしい。つまりこの世界は、生まれ変わる以前にいた世界とはまったくの別世界。魔女がいて、魔法が存在する世界なのだ。これだけでも驚愕の事実なのだが......。
何よりもコハクが驚かされたのは、自分がその魔女の血を引いている特別な人間だということ。かつてウィッチ・クイーンと謳われ崇拝された伝説の魔女『深焔の魔女』の娘だということ!
しかし『深焔の魔女』とその娘については非常に謎が多い。『深焔の魔女』の娘が、どういう経緯で三百年間も眠っていたのかも判明していない。それなのに、三百年後に目覚めることは伝承通りだったという。謎はそれこそ深淵の如く深まるばかりだ。しかし伝説・伝承とは、えてしてそういう謎めいたものだとも言える。
なお、『深焔の魔女』は、ここ〔マギアヘルム〕を創設した初代領主でもある。したがってコハクは初代領主の令嬢にもなるのであった。
「......情報量が多すぎる上に、ひとつひとつの情報に威力がありすぎる。てゆーかボクの転生は伝承と関係あるの? そもそもボクはなんで言葉も文字もわかるの? それに今のボクって何歳なの? どう見ても見た目は女子高生か女子大生ぐらいだよね?」
コハクはがっくりと首をもたげた。事実の衝撃度に心身の疲労感が半端ない。しかし一方で、色々と腑に落ちてもいた。これまでに起こった不可思議な現象の何もかもに、いわば根拠が裏付けられたからだ。
「コハクお嬢さま」
「......」
「コハクお嬢さま」
「......あっ、は、はい。......えっ?」
領主の呼びかけに顔を起こすと、コハクは一驚する。いつの間にか彼女の面前に、複数の若い男たちがズラリと並んでいた。
「コハクお嬢さま」
「は、はい?」
「よろしければ、彼らと少しお話をしていただけますか?」
「は、はあ」
「もしご気分が優れないならばお断りいただいても構いません」
「あ、はい......」
断ろうかと思いながらもコハクは何気なく彼らの顔をよく見てみた。皆、一定以上の男前ばかりだった。彼らはコハクの視線を受けると「ああ......」と湿った息を漏らした。
【6】この世界に転生してから三日。ようやくコハクも新たな人生に慣れ始めていた。「これが今のボク......」部屋でひとり、姿見鏡の前に立ち、ポーズを取ってみる。前世のような女装ではなく本物の女の子。年齢不詳だが、見目麗しき銀髪美少女。「こうやって冷静になって、改めて見てみると......」鏡に映る自分自身と向かい合いながら、異世界の女の子に転生したという事実を改めて噛み締める。最初は戸惑ったお手洗いやお風呂も、意外なほどにすぐ慣れた。服装に関しては最初からほとんど問題なかった。前世での女装経験やコスプレ経験が役立ったのだろう。「気持ちの部分も、すっかり女の子になったのかな......?」現時点では判断しかねる。こればっかりは焦ってもしょうがない。それよりも、これからの人生に想いを馳せる。「せっかくこうやって生まれ変わったんだ。しっかり生きていきたいし、楽しんでもいきたいな」よしっ、とコハクは胸の前で両の拳を握る。「それには、もっとこの世界のことを知りたいな。魔法のことも......」まだ〔マギアヘルム〕以外には行ったことがない。そのマギアヘルムですら一部しか知らない。したがって、この世界のほとんどが未知だった。ナイジェルとアンから教えてもらったことを総合すると、前の世界で言うところの十八世紀か十九世紀ぐらいの西洋的な世界のようだが、はたして……。「ここは田舎だと言っていたから〔テルストリア〕の都市部に行けば、また全然違うんだろうな。ここものどかで悪くないけど、都会にも行ってみたいなぁ......」テレビや電話などはそもそも存在しない。だが上下水道や電灯といった基本的なインフラは田舎でも整備されていた。中には魔力を動力とするものまであった。残念ながら外見も効力も使用方法も前世のそれ(電化製品や設備)とほぼ変わらず、コハクを驚かせるには足らなかったが。しかし、都会に行けば田舎にはない『魔導車』『魔導列車』といった代物もあるらしい。そう。つまりこの世界では『魔法文明』とでも言うべきモノが様々に存在するのだ。「あの人について行けば......いや、でもアンたちと離れるのは寂しいなぁ」ベッドに腰かけて置き時計を見る。針は午後四時を差していた。今日のコハクはアンと一緒に付近を少々散歩しただけ。ほとんどを家の中で過ごしている。もっと正確に言えば、
しばらくの間、クロー・グレイシャは〔マギアヘルム〕に滞在することとなった。彼の滞在期間は結論がいつ出るか次第になる。強引に婚約話が進んでいってしまいそうな所をアンとナイジェルが食い止め、そのような形となったのだ。「しかし、ずいぶんと大胆な公爵様だよな」自分の屋敷へ戻るなり、ナイジェルは疑問に満ちた顔をする。彼には未だにクロー・グレイシャの行動意図が測りかねていた。本当に弟を救いたいがためだけなのだろうか。「領主さまは......」アンも言う。「婚約期間と結婚の時期、将来の政治上および経済上の利益等についても条件を出されていたけれど、あの様子ならグレイシャ様は承諾されるでしょうね」「それだけ弟さんを救いたいということなんでしょうね。弟思いの優しいお兄さんなんだなぁ」コハクは何の気なく言ったが、アンの眼がギロリとこちらへ向く。「そんなのん気なことをおっしゃっている場合ではありませんよ。これはコハクお嬢さまの人生に関わる大きな問題なのですから」「わ、わかってますよ」「私から言わせてもらえば、自分の弟を救うためならば一人の女の人生など厭わないと言っているようなものです」「そ、そこまで言わなくても......」「悪い人間ではないかもしれません。良い人間かもしれません。しかし私は認めません。弟さまのこととは別に、彼がコハクお嬢さまのことを本気で想っていらっしゃるならばまだしも、あれでは納得できません」「アンさん......」「領主さまにとっては政略結婚。公爵さまにとっては弟を救うため。利害は一致している。しかし私は......コハクお嬢さまの女としての未来が、目的を達成するための手段として利用されることに耐えられないのです。コハクお嬢さまが、まるで道具のように扱われることが、私はどうしても許せないのです」 アンの激昂ぶりに、コハクよりもナイジェルが驚いていた。「俺の縁談話の時は、そこまで怒ってくれたかな?]「それとこれとはまた別なの」「そういうことにしておくよ」「それにこれはナイジェルも領主さまもわかっていることでしょうけど」「なんだ?」「今のコハクお嬢さまは魔力と魔法が安定していない」アンは怪訝な表情を浮かべる。「なので仮にコハクお嬢さまのお力で公爵様の弟さまを救えるとしても、すぐにというわけにはいかないでしょう?」「それに
「そういうことだったのか......」ナイジェルが腕を組んで宙を見つめた。ひと通りの説明を聞き、事情はよく理解した。だが彼の表情は曇っていた。「しかし......」とアンが切り出す。「すでにご存知のように、貴方の弟様のご病気は、現代の医療はもちろんのこと魔法による治療でも治らないと結論づけられております」「その通り」領主が重ねる。「いくら我々〔マギアヘルム〕の魔法使いでもどうすることもできません。自らの魔力により自らの身体を蝕み、やがては免れざる死に至らしめる〔魔力硬化症〕は、紛れもなく不治の病。グレイシャ様自身も魔法の使い手ならば百も承知でしょう」「それでも私は彼女に賭けてみたい」クロー・グレイシャの決心は揺るがない。それこそこのような反応をされることなど百も承知だったのだろう。「ボクで良ければ、助けてあげたいけど......」コハクはクローの凛々しく端麗な顔を見つめる。弟の病を治すため、その手段を探すため、はるばるこの地までやって来た若き公爵の顔を......。「コハクお嬢さまをお連れすることは私が許しません」不意に鋭い声が上がった。皆の視線が彼女へ集まる。アンだ。「もちろんタダでとは言わない。結果如何に関わらず、グレイシャ家の当主として最大限の対価を支払わせていただく」クローも譲らない。アンは立ち上がってコハクに近づき肩を寄せる。この子を守るのは私だと言わんばかりに。「貴方の弟様が助からなかった時、きっとコハクお嬢さまは深く傷ついてしまいます。確かに貴方はコハクお嬢さまとこの町を救ってくださいました。貴方には恩があります。それでも、わざわざ悲しみの待つ可能性がある場所へ、コハクお嬢さまを行かせるわけには参りません」「申し訳ありません」と断ってからナイジェルも言った。「私も同意見です」クロー・グレイシャは、コハクを守ろうとする二人と対立する形となった。そのやり取りを見守っていた領主は、おもむろに口をひらく。「グレイシャ様。貴方は恩人ですが、それでもやはり他人です。救っていただいた御礼に、コハクお嬢さまを他人である貴方とともに行かせることなど到底承服いたしかねます。貴方が他人であるかぎり」もっともな台詞だったが、どこか含みがあるようにも聞こえた。そこをクローは見逃さなかった。「では......私と彼女が、他人でなくなるとすれば、ど
「今、なんと?」領主が思わず訊き返した。「ですから私の望みは、そちらの彼女を連れ帰ることです」クロー・グレイシャは迷いなく言い放った。その声には覚悟の響きすらある。「ぼ、ぼぼぼボクを、連れ帰るぅ!?」コハクは跳び上がるように立ち上がった。この人は出し抜けに何を言っているんだ!?「それはどういう意味ですか?」アンが眼光鋭く割って入った。保護者の目であり、女の眼だ。「グレイシャ様」領主の声のトーンが低くなる。「コハクお嬢さまは特別な方です。貴方にどのような意図があるにせよ、コハクお嬢さまをお連れするということは、相応の意味が生じます」部屋内が沈黙に包まれる。当のコハクは急転直下の急展開についていけず何かを言うに言えない。「二つ、確認してもよろしいですか?」クローが口をひらいた。領主が頷くと、彼は言葉を続ける。「特別な方。相応の意味。これらが示す具体的な内容をお教えいただきたい」「コハクお嬢さまは、深焔の魔女の血を引く魔女の末裔です。それと同時に〔マギアヘルム〕の初代領主のご令嬢でもあらせられる。ここまで言えば、相応の意味は自ずとわかりましょう?」あえてひけらかすように領主は事実を突きつけた。彼を試しているのか......ナイジェルとアンはそう汲み取ったが、領主の真意は少し違った。「グレイシャ様」領主が続ける。「貴方がコハクお嬢さまに関心を寄せる理由......それはつまり、貴方の言った『大きな可能性』という言葉が意味するところと推察しますが、正直にお答えいただけますか?」領主の指摘は的を射ていたようだ。クローは観念したように吐息をつくと、事情を語り始めた。
【5】「改めまして私が領主のバーバラです。この度は〔マギアヘルム〕の危機を救ってくださり誠に感謝いたします」バーバラは領主邸の応接室に男を招くと、改めて深謝した。部屋には領主と男以外にナイジェルとアンとコハクも同席していた。「たまたま旅をしていたところであのような状況に出くわし、自分の為すべきことをしたまでです」男は淡々と答えた。領主と向かい合って座る男を、コハクは側面の席から見つめる。蒼玉のように深く青い瞳が印象的な黒髪の美男子。それがコハクの第一印象だった。スラリとした体はスタイルも良く、身なりはきちんとしていて、どこかの貴族にも見える。「〔マギアヘルム〕に旅、ですか」領主は男をまじまじと見る。恩人とも言える相手に対し些か失礼に思えるが、領主として相手を見極めようとしているのだろう。「魔法について調べるために国内を回っていました」男は微塵も動じることなく粛々と説明する。「その中で、ここ〔マギアヘルム〕へも足が向かったのは自然な流れでした」「確かに、その通りですね。貴方自身も相当な魔法使いと見えますし......」領主は熟練鑑定士の目つきで男を見つめ続けていたが、横からナイジェルとアンが物言いたげな視線を領主に送った。わかったわかった
アンに手を取られながらゆっくりと慎重に地上に戻ったコハクは、極度の緊張から解放されて大きく息を吐き出す。やっぱり自分は魔女なんだと、今さらながら改めて驚愕した。「あのワイバーンを、ボクが......」自分の掌を見つめて静止する。が、ふと周囲に気づいて視線を上げた。「なんと、恐ろしき魔女さま……!」町の人々が、コハクに視線を向けられたと同時に地面に跪いて頭を垂れた。コハクは悟る。これは崇敬とは違う。恐怖だ。彼らはすくみ、その体は震えていた。「ご、ごめんなさい……」コハクは思わず声を詰まらせて謝った。ひどく悲しい気分だった。「ちょっと、コハクお嬢さまは……!」とアンが町の人々へ詰め寄ろうとした時だった。「大丈夫か?」離れたところからコハクへ向かって声が飛んできた。コハクが振り向くと、視線の先には蒼い瞳の黒髪の美男子が立っていた。「だ、大丈夫です!」一生懸命に声を出してコハクは返した。それに対して彼はこれといった反応は見せない。ただ歩き出しながらこう言った。「ワイバーンから町を救った英雄は、早々に休んでいるといい」そうして彼は再び消火活動に向かっていった。コハクは、彼の身体から感じた心地良い冷気を思い出す。彼がいなければどんな悲惨な結果をもたらしてしまったかわからない。町も、人も、自分も。そうです。だから、ボクの英雄は貴方です......。町の人々は顔を上げると、皆一様に複雑な表情を浮かべていた。